日本のれきし3、飛鳥時代(斉明天皇~持統天皇)

 朝鮮半島では、新羅が中国の唐とかんけいをむすび、ちからをつけていきました。
唐と新羅は、百済にせめいり、百済をほろぼしてしまいました。
ほろぼされた百済の旧家臣たちは、日本にたすけをもとめてきました。
日本にとっても、このまま百済がほろびてしまうと、日本の朝鮮半島のあしがかりがなくなってしまいます。
かんがえた斉明天皇と中大兄皇子は、百済をすくうことにしました。
 百済をたすけているときに、斉明天皇がなくなってしまいましたが、中大兄皇子は天皇にならないままたたかいました。
しかし、このたたかいで中大兄皇子はまけてしまいました。
中大兄皇子は、このままでいるとやがて日本もほろぼされてしまうとかんがえ、それからは日本をまもることにせんねんしました。
 中大兄皇子は、琵琶湖のほとりの大津宮に遷都し、ようやく天皇になります。
これが天智天皇(てんちてんのう)です。

 天智天皇は、はじめ弟の大海人皇子(おおあまのみこ)をつぎの天皇にするつもりでした。
しかし、ばんねんは子の大友皇子(おおとものみこ)をつぎの天皇にしようとかんがえるようになりました。
天智天皇がなくなると、大海人皇子は地方豪族といっしょに大友皇子をたおしてしまいます。
このようにして大海人皇子が天武天皇となりました。
これを壬申の乱(じんしんのらん)といいます。
 天武天皇のときに、せいしきに天皇とよばれるようになりました。

 天武天皇はあたらしく藤原京をつくろうとしていましたが、とちゅうでなくなってしまいます。
飛鳥の北方につくられた藤原京へ遷都したのは、天武天皇の皇后であった持統天皇(じとうてんのう)です。
天武天皇と持統天皇はたいへんなかがよく、持統天皇がびょうきになったとき、天武天皇はびょうきがなおるようにいのるため薬師寺をたてました。

 持統天皇のつぎに天皇になったのは、持統天皇の孫の文武天皇(ぶんむてんのう)です。
文武天皇はまだわかかったため、持統天皇がたすけながらの即位でした。
これがはじめての「上皇」です。

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